北川悦吏子作品にみる「共存」の思想 ― 障害・病気描写の変遷
恋愛の神様と呼ばれる北川悦吏子のドラマに登場するヒロインは天真爛漫、自由奔放でその明るいキャラクターは多くの視聴者を魅了してきました。その活発さの裏に情動抑制の欠如があり、対人関係で齟齬を生むことも少なくありません。このキャラクターはADHD(注意欠如・多動症attention-deficit/hyperactivity disorder)と重なる部分が多く見られます。また、それに病気や障害を絡めることで、社会との包摂というテーマを描いています。本稿では、北川作品における障害・病気描写が「すれ違い」を強調する劇的装置としての段階から、「共存」という思想へといかに変化していったかを、時系列に沿って検討します。
ストーリー展開は作者の豊かな想像を膨らませれば面白さや作品の魅力が増しますが、キャラクターがあまりに現実離れするとドラマ全体の信憑性が薄れ、違和感が生じやすくなります。キャラクター設定は小説、ドラマの最も重要な出発点です。
北川悦吏子の作品では、ヒロインの多くにADHDの特性が付与されています。キャラクターの人物造形を緻密にするには、作者の正確な人間観察の蓄積が要求されます。私小説作家はそこに自己を投影しますが、北川悦吏子作品を時系列で追うと、私小説作家としての側面が次第に浮かび上がってきます。
下に北川悦吏子作品を時系列で列記します。
1990年代(すれ違いの美学が前景化する時期)
• 1990年 ぼくが医者をやめた理由(テレビ東京、共同脚本)
• 1992年 素顔のままで(フジテレビ、連続ドラマ脚本デビュー作)
• 1993年 あすなろ白書(フジテレビ)
• 1995年 愛していると言ってくれ(TBS)
• 1996年 ロングバケーション(フジテレビ)
• 1997年 最後の恋(TBS)
• 1999年 Over Time(フジテレビ)
2000年代(障害、病気が恋愛ドラマに深く組み込まれる時期)
• 2000年 ビューティフルライフ(TBS、視聴率40%超の大ヒット)
• 2002年 空から降る一億の星(フジテレビ)
• 2004年 オレンジデイズ(TBS)
• 2006年 たったひとつの恋(日本テレビ)
2010年代以降(作者自身の闘病を背景に共存の思想が明確化する時期)
• 2009年 ハルフウェイ(映画、監督・脚本)
• 2012年 新しい靴を買わなくちゃ(映画、監督・脚本)
• 2018年 半分、青い。(NHK連続テレビ小説)
• 2021年 ウチの娘は、彼氏が出来ない!!(日本テレビ)
• 2023年 夕暮れに、手をつなぐ(TBS)
北川悦吏子作品の特徴の一つは、ヒロインと恋人の感情の衝突、揺らぎ、すれ違い、そして誤解の連鎖です。これらが連続する「すれ違いの美学」が初期の作品では優先され、徐々に二人の心が惹かれ合い、恋が成就する展開が定型になっています。「あすなろ白書」「ロングバケーション」がその系譜に入るでしょう。
やがて北川作品には、障害や病気が加わり、展開がさらに複雑に絡み合うようになります。初期の代表作が1995年の「愛していると言ってくれ」です。聾の画家と役者希望の女性との恋愛を描いたこの作品は、すれ違いと誤解の繰り返しで恋が成就せず、結局振り出しに戻る結末を迎え、障害の受け入れプロセスが深く描ききれなかった印象を残しました。
その後北川悦吏子作品は徐々に変化していきます。その契機は彼女自身の病気です。1999年に潰瘍性大腸炎がみつかり、2012年に聴神経腫瘍になり片側の聴力を失いました。この時期以降、彼女の内面的な葛藤が深まったと考えられます。発病以前、障害は「すれ違い」を強める道具として機能していましたが、病後は障害や病気は、克服ではなく共存の現実として描かれるようになります。その初期はまだ迷いの時期でしたが、闘病生活が続くにつれ、2018年以降、その変化はより明確になります。彼女自身はインタビューで「私は病気を受け入れてもいないし、乗り越えてもいない。共存するしかない」「病気を感動の道具に使わない」と語っています。潰瘍性大腸炎の病状は寛解、再燃を繰り返し、入退院を繰り返してきました。2010年には大腸の全摘を受けています。その間の入院回数は10回以上で、本人も正確な回数は覚えていないと語っています。加えて2012年には聴神経腫瘍で片側失聴となっています。長い闘病生活は、それまでは見えなかった景色を見せてくれるものです。その中でドラマを書き続け、徐々に病気や障害に対する考え方、向き合い方が変化し、それが作品に強い影響を与え、障害や病気が受容だけではなく、共存の思想まで段階を踏んで進んでいきます。
2000年に放映された「ビューティフルライフ」は40%以上の視聴率を記録しました。車椅子を使うヒロインとその恋人、双方にADHDの特性が見られる作品です。生と死の狭間の緊張感を感じる作りになっています。多くの衝突、誤解を経て、恋が成就した直後、ヒロインの病気が悪化し病死する展開は、病気の受け入れを深く描いた一方で、病死を感動の道具に用いた点で課題を残しました。この頃は潰瘍性大腸炎を発症したばかりで、まさに闘病中だった為、生と死が近い実感が強く反映されたと推察されます。後に病床で薬袋の裏に台詞を書いたエピソードを語りつつ「リアルってこうだよ」と感じたことを認めています。この頃はまだ闘病生活の初期であったため、「感動の道具にしたくない」という後のスタンスとは、まだ距離があり、死の切迫感はあっても、共存の段階にはなっていません。
2004年の「オレンジデイズ」では、聴覚障害を持ち、ADHD的な特性を併せ持つヒロインと、手話ができ、誠実で包容力のある恋人との恋愛が描かれ、幾つかのすれ違いを経て二人が結ばれる過程が丁寧に描かれました。「あすなろ白書」の群像劇の形をとり、周囲の友人達からの支え、日常の環境整備も表現されています。闘病生活がある程度経過した頃の作品であることから、病気や障害の受け入れプロセスが前作より現実的に提示されています。但し、まだ病気を感動の小道具に用いる面も残っていました。
2009年「ハルフウェイ」と2012年「新しい靴を買わなくちゃ」の映画二作品は、監督・脚本を自身で手がけた意欲的で実験的作品になっています。この頃は大病を10年近く経験した時期であり、病気や障害との共存、そして「病気を感動の道具にしない」表現に至るまでの過渡期における迷い、試行錯誤の跡が見られます。両者の特徴は長回しの多用です。これは情動が解除される瞬間を捉えるのに適した手法であり、計算された編集よりも、キャラクターの感情が自然に溢れ出る瞬間(衝動的な行動、感情の爆発、抑えきれない喜びや怒り)をリアルタイムで記録しようとした結果だと考えられます。アドリブを入れた長回しの為、テンポが悪く、視聴者を飽きさせることになり、商業的には結果を出せずに終わっていますが、これ以降の作品の助走として意義があり、これらのモチーフは後の作品へ引き継がれています。
「ハルフウェイ」では小樽在住の高校生カップルが繰り広げる感情のぶつかり合いを描いています。秀才のシュウが札幌の大学ではなく、東京の早稲田大学を受験することに、学力がそれほどでもなく、ADHD的特性を持つヒロがそれを思いとどまらせようとするものの、最終的には受け入れる過程が描かれています。感情のぶつかり合いとその受け入れという北川作品の定番の中に、新たな視点である障害や病気を受け入れるために必要なお互いの成長や環境整備のための演出方法の模索が見て取れます。
2012年の「新しい靴を買わなくちゃ」はパリ在住の勅使河原アオイ(中山美穂)と八神千(向井理)との静かで穏やかな心の揺れと、八神千の妹・鈴愛(すずめ)とパリ在住の画家の恋人との強い感情がぶつかり合うカップルの対比を描いています。静かな恋は男性が一旦日本に戻ってもまだこれから続く余韻を残し、激しい妹カップルはぶつかり合いの末、決定的な別離をうかがわせる内容になっています。これも闘病中に作られた作品で、恋の成就の形態を模索している気配を感じさせます。「新しい靴を買わなくちゃ」で見られる女性をおぶって歩くシーンや「ハルフウェイ」で登場するような「身体的な親密さ」や「支え合う」モチーフは、後のドラマ「夕暮れに、手をつなぐ」に通じています。鈴愛(すずめ)という名前やキャラクター設定が、「半分、青い。」の楡野鈴愛へと繋がる伏線のようにも感じられます。登場人物の多くに、衝動性・感情の激しさ・社会的ルールへの不適合といったADHD的な特性が見られる点も、彼女の作品を理解する上で重要な要素になります。
2018年の「半分、青い。」はADHD特性を持ち、片側難聴の楡野鈴愛と、幼馴染みの萩尾律との恋愛を描いた作品です。不注意な行為が小学生時代から見られ、衝動的な行動が成長しても見られる様子、整理整頓の苦手さが丁寧に描かれています。鈴愛がその中で成長し、社会と共生していく長期的な適応過程がドラマチックに展開され、互いに一度結婚と離婚を経験しながら恋愛を熟成させ、成就する物語になっています。執筆中二度の入院を経験し、病気との相克を経て、北川が目指す「受け入れも乗り越えもせず共存する、病気を感動の道具にしない」形ができあがった作品です。ここでは「恋愛の神様」と呼ばれた時期に用いられた誤解とすれ違いの美学は薄れています。この作品は大きな思想的転換点で、それ以前は過渡期と考えられます。但し朝ドラの制約からか、鈴愛の情動性、衝動性はマイルドに設定されています。ADHDの持つ負の側面はソフトに扱われています。高い完成度に大きく近づいた作品でしょう。
2021年に「ウチの娘は彼氏が出来ない!!」は北川作品としては珍しいコメディタッチの作品です。情動抑制の苦手な母と娘が、娘の出生の秘密を抱えながらぶつかり合い、理解し合うラブコメディになっています。母親は昔ビッグヒットを飛ばし「恋愛の神様」と呼ばれた恋愛小説家で、現在はスランプに陥っている設定は、過渡期の作者自身と重なる部分を感じさせます。愚痴、弱音を随所に織り交ぜることで、コメディの形を取ったと解釈できます。過渡期はまだ迷いが多く、物語が思うように書けなくなった苦しい時代だったようです。「半分、青い。」でそれが吹っ切れ、苦しかった過渡期をコメディにする余裕が生まれ、作家として段階が上がったことを示しているように感じられます。
障害の持つ正負両面の特性を過不足なく捉え、その適応のプロセスを可視化できた集大成が2023年の「夕暮れに、手をつなぐ」です。職場では不注意からの失敗、衝動的な行動から、突然ファッションに目覚め、ADHDの特性である過剰集中でファッションの才能を開花、世界的に評価を受けます。ADHD特有の継続性の困難さがキャリアの足かせとなり、パリを離れ故郷で地域に密着したファッションデザイナーとして落ち着くという一連の軌跡は、ADHDを過不足なく可視化しています。空豆を「120%の北川ヒロイン」と呼び、この作品の主人公・浅葱空豆は北川の内面的な投影であることを強く感じさせ、北川のマイルストーン作品と言って良いでしょう。
北川悦吏子は病気や障害を初期の作品では、すれ違いの駆動装置としていましたが、過渡期には感動装置としていました。そして後期にはそれらを共に生きる現実そのものとして物語の中心に据えるようなっています。その結果どのように社会が障害や病気を包摂するかを描ける数少ない作家に成長しました。その過程が、作品の進化を通して感じ取ることができます。今後も社会的包摂の視点からの作品を期待したいと思います。