のぶ、嵩、次郎の関係

『あんぱん』がよくできたドラマであることは論を俟たない。しかし、作者が語ろうとして語りきれなかった「贖罪」の問題が残された。

のぶは教師として、子どもたちに国家のために命を捧げよと説き、強烈な愛国・軍国教育を行ってきた。だが戦後、その戦争責任は一切問われず、彼女自身の贖罪も語られないまま、ドラマは幕を閉じる。国家自体が東京裁判の終結をもって戦争責任の追及を終わらせたため、戦争責任は曖昧なまま「総括」され、のぶの責任も棚上げされた形となった。

のぶは幼いころ、父親に「女子も大志を抱き、夢を持って全力で走れ」と教えられた。その人生訓に従い、戦中・戦後を立ち止まらずに走り抜けた。

ドラマはお互いに好意を抱いていた嵩を差し置き、のぶは突如現れた次郎との結婚を衝動的に決意する。決意の根底には、次郎の言葉が父の「走れ」という訓えと同じ響きを持っていたことがある。父を慕うのぶの心は、その言葉に動かされたのだ。

次郎との縁談が持ち上がった頃、妹の婚約者・豪の戦死を契機に、のぶは自らの軍国教育に疑問を抱き始めていた。その思いを次郎に語ると、次郎は「そんな重たいことを一人で背負わないでください。船なら沈んでしまいます」と慰める。のぶはその優しさに救いを感じた。

さらに戦後、のぶが自らの軍国教育への悔恨を語り、「自分は生きていてよいのか」と問うと、次郎は「戦争は終わったのだから、これからのことを話そう」と応じた。その言葉にのぶは救われ、次郎の記憶は彼の死後も彼女の中に生き続けることとなる。

終戦後、次郎は病没し、それを知った嵩はのぶに会い、彼女を慰めた。のぶは嵩に「自分の軍国教育で家族を失った子どもたちにどう接すればいいのか」「自分は生きていていいのか」と打ち明ける。嵩は「死んでいい命は一つもない。のぶは生きろ。やっていい戦争なんてない」と語った。

「生きろ」という言葉はのぶにとって慰めだったが、「死んでいい命はない」「やっていい戦争なんてない」という言葉は、のぶの軍国教育を否定する明確な言説である。それでものぶがその言葉に救いを感じたのは、嵩の語り口に宿る優しさゆえであった。

嵩はさらに「これからは逆転しない正義を探す夢を持ちたい」と語り、のぶはその夢に共感する。自らもその夢を探そうと決心し、それが戦後を走り抜く第一歩となった。

だが、ここにこのドラマの矛盾が生まれる。次郎の言葉は「軍国教育の責任など感じなくてよい」「過去を振り返らず前に向かって全力で走れ」というものであった。無責任とも言えるその言葉は、のぶの存在を無条件に肯定し、彼女の清濁をすべて無批判に受け入れる宣言でもあった。のぶにとって、これ以上の慰めはないだろう。

一方で嵩は、のぶの軍国教育を明確に「間違っていた」と言いつつも、自らの「逆転しない正義の夢」を語った。その語りはのぶの心を再び動かした。

のぶと嵩は結婚するが、二人の結婚後ものぶは、次郎の写真や遺品のカメラを目立つ場所に飾り続ける。嵩もそれを咎めず、むしろ受け入れたが、その景色はあまりにグロテスクである。次郎は嵩にとって恋敵であり、その写真が常に飾られている空間が快適なはずがない。それでものぶは、自分の存在を無条件に受け入れてくれた次郎の記憶から逃れられなかった。

嵩との夢が結実したアンパンマンのミュージカルで、のぶが次郎のカメラを用い、写真を撮り続けたことは、次郎の呪縛がいまだ解けないことの証左である。

さらに、高知旅行の写真現像を頼みに行った写真店で、店主(石橋蓮司)がのぶが肩にかけたていた古いドイツ製カメラ(次郎の遺品)を褒め、「愛情が込められて残されたものは廃れません」と語る場面がある。店内には古いカメラがぎっしりと並び、まるで記憶の保管庫のようである。この一場面のみに石橋を起用したのは、明確に意味を持たせた演出意図によるものだろう。

「愛情が込められて残されたものは廃れません」という言葉は、次郎の記憶を「持ち続けよ」と語っているに等しい。

ドラマは多くの視聴者に好評のうちに終わったが、私には強い違和感が残った。のぶが次郎の記憶を抱きながら走り続けることを肯定する物語は、彼女が立ち止まって贖罪する契機を奪ってしまった。

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