走るのぶの呪縛
「便り」690号では、NHK朝ドラ『あんぱん』の主人公・のぶの魅力について論じた。彼女の感情の起伏の大きさはADHD(Attention-Deficit Hyperactivity Disorder 注意欠如・多動症)の特徴と重なる。ADHDは起伏大きい感情のため周囲との摩擦を生みやすい。しかし今回は、脚本・演出、そして今田美桜の演技力が三位一体となり、その特性が単なる弱点ではなく、人物の魅力として昇華された。私はそこで、ADHDを「障害」というレッテルで縛るのではなく、むしろ愛すべきキャラクターとして認識すべきだ、との私見を述べた。今回はその延長線上で、別の視点からこのドラマを俯瞰してみたい。
『あんぱん』は“おばけ視聴率”には至らなかったものの、通常の朝ドラ以上に大きな話題を呼び、メディアや世論を巻き込んで社会現象的な盛り上がりを見せた。その背景には、単に文学的な要素にとどまらず、社会学的・歴史学的な観点からの評価が加わったことがある。新聞や民放メディアで繰り返し取り上げられ、テレビという枠組みを超えた文化的・社会的論点として議論されたのである。従来の朝ドラは高齢層の安定的支持に支えられてきたが、本作は若年層から中年層をも巻き込み、幅広い世代に届いた点で新機軸を打ち出したといえる。
ドラマは、戦中戦後を駆け抜けたのぶの物語である。初回放送のオープニングは、幼いのぶが、出張から帰宅する父の乗った汽車と並走する場面から始まる。戦後、病床の前夫・次郎がのぶに託した速記の言葉──「自分の目で見極め、足で立って、絶望に負けない早さで走れ」──は、物語を象徴するにふさわしい力強さを持つ一方で、その解釈をめぐって多くの問いを残した。なぜなら、この言葉は、かつてのぶの父が娘に授けた人生訓をほとんどそのまま繰り返したものであり、のぶ自身が女学校時代から戦後に至るまで一貫して実践してきた生き方と重なっているからである。また病床の次郎は愛国教育の悔恨を語るのぶに「戦争は終わった。これからの話をしよう」と諭した。過去には眼をつぶれとする無責任な言説ではあるが、のぶにはそれ以降救いの言葉として残り続けたと推察される。
ところが、のぶ自身は戦後になって「教師としても記者としても、さらには政治家秘書としても失敗した」と率直に語っている。彼女が「走る」ことを美徳と信じてきた姿勢は、結局「生きる喜び」には至らず、むしろ戦前の教育現場では、子どもやその兄たちを戦地に駆り立てる思想に加担する結果を生んでしまった。戦後は記者として走り出すが、戦中の愛国教育への負い目から戦争孤児に過度に肩入れし、編集長から「記事に客観性がなく、記者として失格だ」と批判される。政治家秘書になってからも、当選当初は弱者に寄り添っていた薪鉄子がやがて政局に翻弄されると、のぶは「もっと弱者に寄り添うべきだ」と迫り、逆に解雇されてしまう。スランプに陥った嵩に対しても「昔のように描きたい漫画を描け」と繰り返し迫り、ドラマではほとんど怒りを見せない温厚な嵩まで怒らせてしまった。
のぶの「走り」は、本来なら戦後の自己否定と懺悔を通じて初めて乗り越えられるべきものであった。しかし、実際の物語ではその悔恨や贖罪の姿は十分に描かれず、代わりに次郎の言葉や遺品(写真やカメラ)が長く彼女の生活空間を占め続けることになる。
この矛盾をどう理解すべきか。単純に脚本の不整合として切り捨てるのは容易だが、それでは『あんぱん』が残した複雑な余韻を説明できない。むしろここには、制作側の意図的な仕掛けを読み取る余地がある。すなわち、のぶが「死者の言葉に囚われ続けた存在」として描かれている点である。彼女は父や次郎から受け取った訓戒を手放せず、それを戦後の生を導く道標としようとした。しかしその指針は、戦後社会を生き抜くうえで既に破綻しており、その構図自体が、戦争を生き延びた世代が抱え込んだ矛盾を象徴している。
さらにこの矛盾は、嵩が作詞した「アンパンマンのマーチ」との対比によって一層際立つ。「そうだ、うれしいんだ、生きる喜び」という歌詞が示すのは、のぶが戦中に決して獲得できなかった「生の肯定」である。彼女は「絶望に追いつかれまい」と走り続けたが、その先にあったのは死者の影であり、真正の「生きる喜び」ではなかった。次郎の写真やカメラといった遺品を飾り続ける姿も、愛の証というより、過去の亡霊に縛られた人間像を暗示している。
したがって、『あんぱん』における次郎の言葉の反復は、単なる脚本上の失敗ではない。むしろ「死者の呪縛」や「贖罪の不可能性」を描くための表現戦略として理解すべきだろう。のぶが「走り続けながらも生きる喜びに届かなかった」存在として描かれたことは、戦争体験の世代が遺した未解決の課題を、現代の視聴者に問い直す装置として機能している。歴史社会学的に見れば、のぶの姿は「戦争責任を背負いながら戦後を生きた人々」の象徴と読める。戦時中、教育現場において若者を戦地に送り出した教師たちは、戦後にしばしば自己の責任を問われた。しかし現実には、その責任は個々人の贖罪によって清算されることなく、日本社会全体の「曖昧な総括」の中で棚上げされていったのである。
のぶが次郎の言葉に執拗にしがみつき、部屋に遺品を飾り続ける姿は、まさに「未解決の贖罪」を体現している。彼女は戦後の職業生活における不適応を率直に認めながらも、戦前に子供たちを戦場へ送り出したことの責任を真正面から語ることはなかった。その沈黙は、戦後日本社会が共有してきた「語り得ない歴史」の反映であり、個人の心理的抑圧と国家的な歴史抑圧が重なり合う地点を示している。
重要なのは、脚本がこの矛盾をあえて解決しなかった点である。のぶを「贖罪を果たした英雄」として描くことは容易だったが、制作者はそれを避け、彼女を「死者の声に囚われ、生きる喜びに届かなかった人物」として描き切った。この中途半端さこそ、戦後日本人が抱え続けた「記憶の負債」を象徴している。
したがって視聴者が覚える違和感は、作品の欠点ではなく、意図的に仕組まれた「歴史的空白」である。観客は、のぶの矛盾を前にして「では自分たちは過去とどう向き合うのか」という問いを突きつけられる。その意味で『あんぱん』は、「走ること」と「生きる喜び」との落差を主題化したドラマであった。のぶは全力で走り抜いたが、その走りは死者の影に規定されたものであり、真に主体的な「生きる喜び」には届かなかった。次郎は単なる恋人ではなく、父の思想を体現した「死後も語り続ける存在」であり、ここに「死者の声を断ち切れない」という文学的テーマが重層的に刻まれている。
だがその声は、のぶを解放するのではなく拘束した。彼女は「絶望に追いつかれないように走れ」という命令のもとで生き続け、結局は「走ること」自体が目的化してしまう。これは文学的に言えば「生の物語の不在」への転落であり、アンパンマンのマーチが歌い上げる「生きる喜び」に到達できなかったことを意味する。『あんぱん』はこうして、単なる伝記的再現を超えて、人間存在の根源的矛盾を提示している。
さらに注目すべきは、歴史の大きな節目の不在である。玉音放送については、嵩が戦場で聞き、朝田家は家族全員で聞いたと描かれるが、のぶの体験はまったく触れられていない。新憲法に至っては完全に欠落している。通常の戦争ドラマではこれらは時代の転換点を象徴する場面となるが、『あんぱん』では意識的に回避され、のぶの日常は淡々と続いていく。これは偶然ではなく、歴史観の表明である。制作者は、国家的断絶よりも個人の内面における「継続」を強調した。のぶにとって戦前と戦後は断ち切れず、同じ言葉・同じ価値観に縛られ続ける。その継続性を際立たせるために、歴史の節目はあえて「空白」として提示されたのである。
歴史社会学的に見ると、この「空白」は戦後日本社会が抱え込んだ「未解決の贖罪」を映し出す。多くの教師や知識人は戦争協力に関わったが、戦後にその責任を真正面から語り切ることはなかった。日本社会は「曖昧な総括」の上に戦後を築き、その結果、個人レベルでも「語り得ない歴史」が沈黙として残されたのである。
のぶが次郎の言葉や遺品を抱き続ける姿は、その沈黙の寓話である。彼女は自らの「失敗」を語りながらも、子供たちを戦場に送り出した責任については深い贖罪の言葉を発しない。そこに浮かび上がるのは「罪を語れない戦後」としての日本の姿であり、その象徴として玉音放送や憲法制定といった出来事が意識的に省略されたのだろう。結局『あんぱん』は、のぶを英雄化するのではなく、むしろ彼女の矛盾と不完全さを前景化した。死者の声に縛られ、贖罪を果たせず、歴史の断絶にも触れずに生を終えるのぶの姿は、観客に強い違和感を残す。しかしその違和感こそが作品の最も重要な仕掛けである。
視聴者は「なぜ玉音放送が描かれなかったのか」「なぜのぶは贖罪しなかったのか」と問い続けざるを得ない。その問いこそが、戦争と戦後をめぐる未解決の課題を私たち自身の問題として引き渡す装置となる。『あんぱん』は、国家的出来事の不在を通じて、戦前から戦後へと続く価値観の呪縛を描き出した。それはのぶという「一人の女性の物語であると同時に、戦後日本が抱えた「語り得ぬ歴史」と「未解決の贖罪」の寓話でもある。
玉音放送も憲法も描かれない空白のなかで、のぶの沈黙はより重く響く。観客はその沈黙に違和感を覚えながら、自らの歴史認識と向き合わざるを得ない。彼女の内面に残り続ける「戦前的価値観の残響」をあえて浮かび上がらせ、戦後を懸命に生き抜いた人間であっても、戦争の記憶や死者の言葉から完全に自由になることはできなかったという歴史的現実を示唆したのだ。視聴者が抱く違和感は、そのまま彼女自身が抱え込んだ矛盾の反映である。まさにその違和感こそ、ドラマが私たちに遺した見逃せない重要なメッセージなのである。
最終回でのぶが嵩に「アンパンマンのマーチ」を歌うよう頼む場面も、その文脈に位置づけられる。彼女が望んだのは放送局から没にされたオリジナル歌詞──「そうだ嬉しいんだ、生きる喜び、例え命が終わるとしても…」であった。実際に採用されたのは「例え胸の傷が痛んでも」であったが、その差異にこそ、のぶが最後に求めたささやかな救いの形が刻まれている。